個のちから

デジタル化が個人での活動を開放したと持ちきりである。実際、いろいろな情報媒体でその効用を目にすることも多い。一方、地球環境問題、国跨いだ情報、人、モノの移動を前提にして、時代が求めているのことに共感がある。こちらはその不具合が目についている。個人ではひたすら自分の近況や趣味を自分の近しい人たちに共有するナルシスト化が進み、国レベルでも米中英露は自国優先である。


デジタル化は止められない。好奇心を止められるのはそれを上回る恐怖と言われるが、デジタル化において、今、圧倒的に好奇心優勢だ。シンギュラリティはデジタル弱者からのイクスキューズにすら見える。


ではデジタル化において今すること何であろうか?個人主義を進めつつ、共感すべきは何だろうか?


それは哲学するこころだ。

それは存在を問うことであり、これは潜在的に人間が持ち得る最大の意識能力だ。